自分本来の声で初めてカラオケが出来たお話【9月歌練習 #2】
さて。九月も既に半ばを経過しようとしているが、みなさんは如何お過ごしだろうか。
こちらはと言えば、長男の「高原学校(学年全体で泊りがけで高原に赴き、登山をしたり飯盒炊さんをしたりするイベント)」を無事終えて、一段落ついたところである。何しろコロナにでもなろうものなら行かせてあげられなくなってしまうので、それまでは何が何でも健康でいようと、家族みんなで気を張った生活をしていたのだ。そんな目に見えんようなものを警戒して生きるって本当にコレ…阿保らしいことだよなぁ。正直疲れたぜ。
しかし終わってしまえばなんのその、先日、解放された我々は意気揚々とRound1の「スポッチャ」なる施設に遊びに行ってきたのであった。
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Round1のカラオケで。
そもそもRound1という場所自体にほとんど行ったことがない私だったのだが、子どもにせがまれて連れて行ってみたらこれがまたなかなかに良きところで。
⇒参考サイト:【ラウンドワン】スポッチャ アイテム一覧
時間につき定額を支払うことで、スポッチャ内の様々なアイテムで好きなだけ遊ぶことが出来るというサービスである。
バランススクーターやセグウェイ、アーチェリー、バブルサッカーなど、設備が無ければなかなか体験できないようなモビリティやスポーツなどの他、付随しているゲームセンターもフリープレイの遊び放題となっており、かなり充実した時間を過ごすことが出来た。その日はどういうわけかお客も少なく、ほとんど貸し切りのような状態で遊べたのも嬉しかった。
そして最後の30分、子どもたちが一心不乱にゲーセンを楽しんでいる隙をみて、わたしは一人気ままに締めのカラオケに興じたのである。
大きく声を出せるようになってきた成果が表れた
6月の終わりから歌練習を再開してからおよそ3ヵ月の間、カラオケで歌う機会が無かったわけでは無い。そしてその間の成長は「昔の悪い歌い方に、新しい良い歌い方のエッセンスが加わる」という形で実現されてきた。
日を重ねるに連れて良いエッセンスの加算が増えてきているのは嬉しいことだ。しかし、重要なことはあくまで「悪い歌い方がベースとなっている」という事実なのである。
もっとくだけて言うなれば、いくら練習しても結局カラオケに行けば昔の気分に戻っちゃって、そうすると当然のように昔の悪い歌い方に引っ張られちゃって、相変わらず進歩してないなぁ~みたいな。ただ全く進歩ゼロというわけでもなく、ところどころ昔より歌いやすくなっている部分もあって、あぁ一応練習の成果は出ているんだなぁ~みたいな。みたいな感じね。
それが、先日のRound1でのカラオケでは初めて、マジで初めて、これが逆転して「新しい良い歌い方に、昔の悪い歌い方のエッセンスが入っている」という形になったのである。
いやぁ~…コレね、6月から新たに始めた歌練習だけの話ではなく、そもそも「歌い方を変えよう」とし始めたタイミングから考えると、なんと5年半で初めてっていうことになるわけだからもうビックリですな。自分自身としては正にエポックメイキングな事件であったと言えるだろう。
前回に引き続き大きな声を出す特訓中で、徐々に声を張ることが出来る様になってきた。この「大きな声を出せるようになってきた」という事実こそが今回、カラオケでの成功体験に繋がっているハズなので、引き続き頑張ってみるつもりだ。
ちなみに、上手く歌えたのは残念ながら最初に入れた女性アーティストの曲だけ。
あれ?これイケるじゃん!!と、勇んで選んだ2曲目の男性ロック曲で一気にいつも通りの有様になってしまい、アッサリと声が枯れてしまった。まあ三歩進んで二歩下がる状態にはすっかり慣れっこだし、気にしない気にしない。
わたしにとっての「カラオケが歌える」という意味
このサイトにはわたしが作曲したいくつかのオリジナル曲を掲載しているが、歌い方を変えようと思い立った5年半前から徐々にモチベーションが下がり、今ではすっかり作曲活動がストップしてしまった。
⇒参考ページ:オリジナル曲一覧
どうやらわたしにとって「自由に歌える」ということは、新しい曲を作りたい!というテンションを保つための大事な柱として欠かせないマターなのであろうことは、ここ数年で実感しているところだ。だからこそ早くこのチャレンジに決着をつけて、作曲活動を再開したいと切望している。
カラオケ云々というのはその過程において些末なオプションに過ぎず、具体的に言うと、新しい歌い方でそつなくカラオケが歌えるようになった頃ならば「自由に歌えるようになったぞ」という記事を書いてもいいんじゃないかな~ぐらいには考えているし、そうであって欲しいと思う。
やっとその足がかりを得たことで妙なハイテンションになり、こんな内容の無い記事を見切り発車で書いてしまったが、どうせ次回のカラオケではまた上手くいかなかったりするだろうことは織り込み済みだ。繰り返しになるが、三歩進んで二歩下がる状態には慣れている。
それではまた、次回!