低い音を歌う時に抜けてしまわないよう練習する日々【7月歌練習 #2】
プランターで育てていたラディッシュは、芽が出てからもう2ヵ月が経とうとしていた。
始めこそ生育が鈍く元気が無かったヤツだったが、梅雨の中頃からどういうわけか突然やる気を出し始め、いまや本葉もたくさん生えている。そろそろいいかな…と抜いてみたのだが。
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低い音の芯を捕まえたいんだけどね
難しいもんだねぇ。その道に長けた人なら全体の雰囲気などでわかってしまうのかもしれないが、わたしのような素人は抜いてみるまで分からんかった。
「ラディッシュのラディッシュ部分」は残念ながらこんな有様だが、葉っぱはおひたしの胡麻和えみたいな感じにして美味しく頂いた。まぁまだチャンスはあるのでね!今度はきっと立派なヤツを収穫してみせるぜ。
というわけで現状確認をば。
なんだか代り映えのしない声よのう…。しかし体感としては少しづつ良くなっているので、そちらを信じて誤魔化し誤魔化しやっていこう。
「声の疲れ」と「低い部分が抜けてしまう」のが前回わかった問題点なので、その辺りに触れていこうと思う。
歌を歌っているような気がしてきた
声の疲れの方は一旦置いておいて、前回から特に「低い部分が抜けてしまわないように」意識を注いで練習していた。
と言っても、いつもの通り何か具体的な練習方法があるわけではなく、逐一録音した自分の声を聴き直しながらぁ、抜けていない時の声と体感を意識してぇ、少しでもそれに近づくように声を出すとぉ。ほとんどメンタルの問題なんだよな。
しかし、そんな謎のメンタル修行も少しづつ効果が出てきたように思う。一番は「歌っている気持ちが高まった」ということだ。意味わからんでしょ~書いているわたしも意味わからんよ。
いや諦めてはイカン。もう少し伝わるように書いてみよう。
今まではあくまで「練習」といった意識で、声を出すこともまさに「声を出している」という状態以上でも以下でもなく、仮にいつもの適当メロディーに声が乗っていたとしても、それは「歌っている」という気持ちとはほど遠かった。
低い部分が抜けてしまわないように気をつけた結果、声に芯が通っている(つまりは抜けていない)時間が以前より増えてきたせいか、その芯に歌っている気持ちが乗りやすくなったということだと思うのだが…ダメだ。この説明もよくわからんがもう限界。
このラララランもそうだが、わかりやすい前進としては、低い部分もある程度の声量で歌えるようになったということがある。とはいえ昔の歌い方と比べればまだまだ全然。この分じゃ8月も似たような記事が続くことになってしまうかも…恐ろしや…。
水っぽい声で歌うと疲れにくい
もうね、タイトルを付けていて自分でホント嫌になっちゃうのよ。ボキャブラリーが足りなくて言いたいことも言えないこんな世の中だぜポイズン!「水っぽい声」て。
自分本来の声以上に芯を通していると当然疲れやすくなるというのはわかる。じゃあその芯を適切な(自分のポテンシャルに合った)レベルにもっていけばいいわけで、上手く調節ができるとなんていうか…そのねぇ、だから…水っぽい?そう、水っぽい感じの響きになるんよなぁ…あかんわもう。
実はもうこの時点ですっかり声が疲れており、わたしの思う「水っぽさ」を十分に再現できなくなっていたという。残念!というわけで、次回はこの水っぽい声に焦点を当てた音源を作ってみようと思う。
それでは!